お墓参りに行きました♪

  • 2019.07.16 Tuesday
  • 20:04

 愛知県長久手市カラー&アロマセラピー[なごみ処 花水木]

ココロとモノを整えて穏やかな人生へ

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☆家庭の事情により当分の間

サロン[なごみ処 花水木]をお休みいたします

 

ブログは日常の暮らしを綴っています

 

☆『地域交流サロンなごみ会』は毎月第2金曜日に

長湫八分会集会所で開催しております。毎月の様子はこちら→

 

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☆ブログのテーマは『日常の暮らし』で、サロン休みしている今の暮らしを綴っています

最近の様子『付き合いが悪くて…』はこちら→ 日記を書くといいよ』はこちら→

 

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前前回のブログの『お墓参りに行きました』はこちら→

前回のブログのは『お墓参りに行きました』はこちら→

 

前回のブログの続きです。高齢な親の外出の運転手として、外出に付き添う機会が増え、母方のご先祖様のお墓参りをする機会も増え、それも有り忙しくしています。最近の様子『付き合いが悪くて…』はこちら→

 

母達がよく口にする“順送り”という言葉、皆がその 立場になれば普通にできると思っている“順送り”、それを知的障がいのある兄は出来ません。実家には跡を取るような兄弟は他にいません。兄が“順送り”で 、親を見守り世話をし、親の付き合いの代行をし、看取り、葬儀を出し、お墓に納め、年忌の供養をすることもありません

 

親が漠然と不安に思っている「兄が順送りに親を世話し、家を守ることは無い」という不都合な事実、それを正面から受け止め対策を講じる時期はとうにきています。順送りを出来る周りの皆と同じように順送りの時期を待ち、何もその対策をせずにいるから、より不安になるのでは?そこに気づいたら、勇気を出して一歩踏み出してほしい

 

家の跡を取る力が無く両親を不安にさせる兄は、当然その自覚も無い上に、障害からか口を開けば不平や不満ばかりを親に言い募り、親は責められているような状態になり、心を痛め、老いた母の心身はいずれは破綻してしまいそうで心配です

兄は母が大好きで、親に対して絶大な信頼感があり、敵意や悪意はありません。親を自分の欲求を叶えてくれる相手と照準を合わせ、長年の習慣として文句を言い続けているのです。兄は、親の老化が見た目にも顕著になった姿(腰が曲がり小さくなっても)を見ても、その姿に切なくなったり親が死んだらという不安を感じることは無いようで、老いた親に遠慮して、口から出続ける要求や文句を止めたり、控えたりすることは有りません。それが知的障がいのある兄の現状です。それを「人として悲しい、情けない」と思い、切なく思っても構わないのですが、兄が文句を言い続ける行動は変えられません。説得も出来ないし、納得はしないからです。

穏やかな気持ちで生活したいのなら、兄が文句をいう声から離れその文句に反応し心を痛め過ぎず、聞き流す

 

両親が跡取りのい無い不安を嘆き、考えないように放置していても問題は一向に改善されることはありません。その事実を受け止め、何を不安に思うかその気持ちを一つ一つ見つめ、不安を明確にし対応し行動していくしか、不安を少なくする道は無いと思います

 

それを、「まだ早い。時期ではない」と遅らせ、何十年という時が経ちました。時が薬となり傷を癒やす場合もありますが、この場合は不安が深まるばかり、家族皆の老化が進み状況は良い方向に向うことはありません。「棚からぼた餅」的な良いことが突然有り、不安は解決出来ました!なんてことは難しいジャンルです。母にはこのことを話し、同時に「『頼られる』のと『家族の犠牲になる』のは違うと自覚が必要だよ」とも時折話しています

 

母は、「お前の言うことは、正論かもしれないけれど、まだ聞きたくない、聞けない、受け入れられない」と言っています。そう言われると、私が何回もそう話すこと自体が、兄が文句を言い続けるのと同様に母のストレスの上乗せになるので、見守り、母が心を開く時期を待っています。私が、母にそう変わって欲しいと思うことも、相手をコントロールしたいという気持ちに代わりがないから

 

母や叔母さん、私が大切に思う善良な人達が皆、自分を後回しにすることを一旦止め、自分が楽になることを許し、暮らしを楽しみ身体を大事に日々暮らしてほしいと願ってやみません

 

 

母の毎月のお墓参り、そういう暮らし、親戚や近所、周りとの付き合い、それが両親の「普通」の基準です

これは、両親の終活の「普通」の基準でもあり、終活の内容にとても大きく影響してきます

母の毎月のお墓参り、両親の親戚、近所等の付き合い、一見してわかるこの手厚い丁寧な付き合いが、両親の「特別ではなくごく普通、当たり前」のこと。そういう地域に暮らしながら、実家には跡取りがいません

 

両親は、「父方母方の祖父母の葬儀、その後の供養のようなことまでは望んでいない」と言い、一見理解があるように思えますが、両親の思う「普通の基準」が、既に現代の世間一般の基準より高く、まずはその高いレベルから少し引き算して、「そこまでの供養は望んでいない」と言っているのです

 

「今は、葬儀の方法として、「直葬」という方法もあるんだよ。葬儀をする時、状況的な流れで「直葬」を選択するそういう「普通」もある」と、具体的に話していますが、終活を自分で進めようという意思がない両親には、その話はいまいちピンときていないし、それは「(ここらあたりの、皆の)普通ではない」と言っています

 

この「普通」の意識の差を徐々に縮めていく会話や時間が終活の過程として必要なのです。両親には、私に気遣い遠慮してこれくらいと思っているレベルが、既に世間一般より高いレベルを望んでいることをまず自覚してほしい

 

両親は分家で、双方の実家はその兄弟が本家を継ぎ、跡取りの兄弟が親を看取り、葬儀、お寺、お墓、供養の一連の流れは、その跡取りが主体的にしてくれています。手厚く供養されている方ではないかと感じています

 

両親の兄弟は、双方が地元やその近隣に住み、親の介護や葬儀等は、昔、田植えをしていた時のように、兄弟で助け合うことを「普通」とし長年してきました。私は実家に跡を取る兄弟もいないし、助け合う兄弟、頼る兄もいません。この状態が違うことを両親の思う「普通」に加味して、両親には終活を考えてほしい。終活については、両親の経験や両親が思っている世間の「普通」と、私の状態は違うことを理解しそれを元に考えてほしい

 

分家にとって、「本家に跡取りの兄がいることがどれほど心強いこと」かは、義母の常の言動から知っています

夫の両親は分家で、それぞれの本家は兄が跡を取り、その本家は義母が愛知県内、義父は愛知県外にあります。その兄弟姉妹の住まいは遠く、その付き合いは田植え等、仕事を助け合うような付き合い方ではなく、会う時は本家に遊びに行く、互いの住まいの近くの観光名所を案内するという感じでした

義母は行動派でワンマン、家長のような人。そんな強い義母が、本家の兄を心底頼りにしていて、いつも事あるごとに会話の中で、「本家の兄さんが○○、いざとなったら兄さんに頼む」と言っていました。兄は頼もしく、両親も本家も手放しでお任せできる存在と言う絶大な信頼感が伝わってきました

 

その義母とは対照的に、頼れる兄はいないが、世話をしないといけない兄はいて、老いた両親や兄の葬儀の内容、お墓、お寺も全く決まっていない状態は、とても気の重くなる長年の問題でした

 

私には介護するかもしれない気に掛かる家族は親二人+兄=三人います。その負担を分かち合う兄弟はいない

仮に、介護の負担=親の数/兄弟の数とすれば、実父は2/5(0.4)、実母は2/3(0.66)、私は3/1(3)、私一人に介護する人は三人、両親の時より、大変になるのは容易に予想できるので、両親にはそこを話していますが、両親の腰は重く、ヘタなことを言えば機嫌を損ね、その話は全く進まなくなる、、、

 

母は、上記のことについて私に同情し励ますつもりなのか、「お前は可哀そう」と言いつつ、「世間では兄弟がいるともめるというから、お前は一人でやるからもめないから(両親の兄弟はもめず良好です)」と、、、

 

その言葉は励ましにもなっていないよ、、、

両親が今の置かれている状況を把握して、終活を進める道はなかなか手ごわいものがあります

 

両親が経験した親の終活の「普通であり、ごく当たり前」のレベルと、現状で私が出来ることをすり合わせていくことはとても根気のいることです。その両親と兄を合わせた三人の終活を、数年前から徐々に、子育て家事等と並行しながら進め時間を割いてきました。少しずつは進展があり、そのこともおいおい書いていければと思っています

 

 

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